
- 25歳
命の大切さ、私も幼稚園教諭時代に考える出来事がありました。
子どもにとって蟻を踏み潰す事が楽しいと感じていて、子どもたちに命の大切さをどう伝えようかと研修会で議題にしてもらいました。
アリさんにも家族がいる、など自分たちと同じ立場になって考えてみるように話してみるなどの案は大前提ですが、印象的な話は、蟻を踏み潰すなどそういった経験は大事になってくるということでした。踏み潰すのがいいこと・小さい生き物ならいいという事ではないのですが、そういった小さな生き物で命に触れる経験をさせずに抑制ばかりしていると、やがて興味はアリなど小さな生き物からカエル、ネコ、犬、最終的には人間へと対象がどんどん大きくなる可能性を秘めているとのことでした。
極論と言われればそうかなとも思いますが、命の大切さは口で伝えるより実体験として学んでいくものなのかなと思っています。
話がそれてしまった気がしますが、難しくも大切な議題ですよね。
おはようございます
命の大切さについて身に着けるのって難しいと思います
たぶん大人になっても難しいんじゃないかなと痛感するからです
例えば私の場合人の命を預かる病棟勤務の経験があり、いかに一秒を争うのかというのを目前に見てきた2年間から子供のちょっとした変化に気が付くことができるところはあります
一方で自分の危険には一切気が付くことができません
精神科の初診では検査を受けて帰った瞬間連絡が来て死んでませんか?と聞かれたくらい精神状況は悪かったのに自覚はありませんし何なら誰かのために死んでも構わないと思っている節もあります
他人の命にかなり敏感であるのに自分の命には頓着しません
親としては正解かもしれませんがこの感情を子供に引き継いだら子供は死んでしまいますよね
あと例えば自宅にゴキブリが出たときにじゃあ命が大事なら殺さないのかということですよね、ゴキブリは病原菌を持っていることも多く一緒に暮らすことは難しいです
またうちの子供はアレルギーでもあるのでやっぱりどうしても外していかないといけない
そういったときにゴキブリの命はいいのか?という話を子供にされたら困窮すると思います
こうしたいろんな事例からも命が大事ということを体感的に覚えたからと言って本人と他人の命では違う反応をしたりなかなか命全般が大切と教えるのは実際難しいのかなと
お子さんによってアタック方法もいろいろだと思いますが、命が大事かどうかは別として一緒に暮らす相手に手を出さなければ(相手を大事にすれば)自分も大事にされるということを覚えて、一緒に暮らす相手と過ごす時間が楽しいと覚えて、そうなって初めてこの人がいないと嫌だな、ほかの人も大事な人がいなくなったらいやだよなってことを少しずつ俯瞰してみる頭が大人になるにつれてついてくるのかなぁなんて思いました
つまり教える必要はないというのが回答です
おはようございます。
命の大切さや死について教えたいな、と思うことが私もよくあります。
子供が年長の時に曽祖母が亡くなったのですが、発達が遅れている我が子はそのことを替え歌にして歌っていたんです。そのことを療育施設の先生に、「命について分かっていない。どう伝えればいいんでしょうか?」と相談したことがあります。すると、「まだ概念ができていないと思います。人前でそのような歌を歌っていれば、やめるよう促すだけでいいです。まだ命に関する概念がなければ、伝えたところで理解は難しい。ゲームのキャラクターが死んだ・クラスで飼っている動物や虫が死んでしまったり、育てている植物が枯れるなど、この先死や命について触れる機会はいくらでもあります。それぞれを通して徐々に理解していくでしょう。」とのことでした。
命の大切さについて学ぶには、ペットを飼うこともとても有効と言いますよね。そのような経験を通して、子供にも理解してもらえたらいいですね。
みなママさん、こんにちは。
一緒に植物を育てたり、ペットを飼ってお世話をしたりするなかで、成長を共に喜んだり、枯れてしまったりなくなってしまったりと色々と経験をしながら、命に限りがあることや大切さを子供も感じていると思います。
私の息子は生き物が好きなのですが、私が説明して教えるというよりも、きっと体験から自然と学んでいるところがたくさんあるように思います。
エリック=カールさんの『ちいさいタネ』という絵本もおすすめです😊
みなさん、こんにちは。 みなさんは、希死念慮がある親と暮らすのは、大変だし、嫌ですよね。 私は、幼少期に家族から虐待を受けて育ちました。 自分の子供には、同じ思いをさせたくないと思いながら、子育てをしてきましたが、やはり、親に似たような事をしてしまう。 そんな自分が嫌でたまらなくなってしまいます。
2025/6/4 16:27
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おはようございます
私自身虐待を受けて育ったので子供が小さい時は特によくならないようにと気を付けたことが多かったです
子供が小さい時、特に年中くらいまでかな、言葉が通じないのでもう手で留めるしかないって瞬間もたくさんあって(特に車の前に飛び出すなどの危険行為)
ダメってわかってても何回いったらわかるの!!と怒鳴ったりたたいてきた手をたたき返したり、家にいるのが嫌な時がしばらく続いたこともあります
精神科に行ってもネガティブなのは変わりませんが、それを利用していち早く支援につなげたり危険回避に力を注ぐことで自分の安定を図っています
だからネガティブは悪いことではないと思いますよ
子供を育てている9年間、まずは完璧じゃないことがよいことということ
変化が悪いことじゃないこと
これはずっと念頭にあるようにしています
これは子育てを種から花を咲かせるという植物にみたてて書かれている子育ての本を私は持っていてそこから思ったことです
読んでいて思ったのは、どんな花が咲くか赤ちゃんは種の種類が書いてありませんから本当にどうなるかわからなくって、でもそもそも書いてないんだからどれが咲いても正解なんだってこと
そう思ったら自分も子供もどんな人であってもいいのかなと思うようになりました
子供には素直に今日はもう寝る、おむつ今のうちにかえるよ、と言って本当に子供より先に寝る日もありますし、もう頑張れないから洗濯物自分のもの持ってって!って頼むことも普通にあります 家族で全体を回せばいいんです
また、自分がもし今当時の親と似ていると思うなら当時の親がどう考えていたのか今になってわかるところもあるかもしれません
だから手を出していいんじゃなくて、じゃあ同じ状況で自分がベストだと思う道、もしくはこれは回避したいと思う道を考えて自分の道筋を立てる
経験者だからこそ結末は知っていますよね 反対によい未来だって考えられるはず
経験は強みにもなるはずです
虐待を美化するつもりはありません
でも悔しいじゃないですか、ほかの人に時間も体力も奪われた小さいころの自分を少しだって無駄にしたくないから
それにもし小さい頃の自分が目の前の子供だったら、どうしてほしいかな
それがきっと過去の自分を救うことになると思っています
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発達障害児(ASD.ADHD.ALD.知的 何でも良いです)を育て中の方、育てた方で定型発達の子の方が良かったと思う事ってありますか? そう思う事自体、悪なのでしょうか? 苦しいです。 定型発達だからといって良い子とは限らない事も承知です。 全部、苦しい、悲しい、投げ出したくなる。とても孤独です。 私が全てダメなんだろうな、
2025/6/3 20:15
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こんにちは。
我が子は自閉スペクトラム症の小1ですが、正直よく思います。
娘に発達障害がなければ、もっと可愛いと思えたんじゃないかと。
娘に対して嫌悪感を抱いてしまう事も多く、何度も同じことを聞かれたり、特性ゆえに一手間も二手間も多い毎日に、健常児だったらどんなに楽だろうと思います。
実際弟には発達の特性は見られないため、やはり大変さが全然違います。
発達特性ゆえに、正直で幼さもあり可愛い部分もあると思うのですが、それでも大変さやストレスが優ってしまいます。
ずっと手掛かる娘に、いつまで赤ちゃんの時みたいに手を掛けなきゃいけないんだろうって思っちゃってます。
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子供にどうやって命の大切さを教えればいいですか?