
- 7歳
いちちさんの問いかけ
凄く、私に刺さりました…
私自身がまだ抜け出せずにいます…
息子は息子であるはずなのに、いちちさんのお子さんと同じ7才、この6月で8才になりますが
変に大人びて、母親の顔色や、周りの人を気にする性格になっています…
療育先でも、どうにか家庭でも家族の想い出を作ってあげてくださいと言われますが
動いてるつもりですが、なかなか難しいです…
私の場合は社会に出るまでの方が自由だったかもしれません。
それでも、高校生の時に自殺願望が強かった人ですが
今の旦那と大学で出会って認められて、前向きに、と思いましたのに
息子が生まれて、産後うつになり
私自身が更に卑屈になってしまって
理解者であったはずの旦那ですら、信用ならなくなり
日々、自己肯定感ダダ下がりです…
息子と向き合うのが辛いです…
旦那依存、人依存になっている感じが酷くしんどくて
もう離れてしまいたいです…
かと言って、子供を置いて、出て行くことも出来ず
精神科に通ってますが、カウンセリングなど活用出来ずにいます…
我が子も自閉症です。一時期精神的に不安定になり、学校もいけなくなりました。しかし高学年になり成長してきたのか、いまでは少年団でバリバリ活躍しています。
わたしは子どもと性格が真逆です。大学で発達障がいについて学んでいたのに、サポートしながら鬱っぽくなり、カウンセラーにお世話になりました。
発達障がいのあるなしにかかわらず、人生うまくいくときもあれば、そうでない時期もあると思います。環境や人間関係など、自分の力だけではどうにもならないこともありますが、そういうときは病院や専門家の助けを借りてもよいと思いますよ。
こんにちは。
子どもを二人産んでから、それぞれに特性があり、両親ともかなりユニークだなと気づいた4人家族です。今子どもは16.14歳です。
息子さんは7歳とのことで下のお子さんがいるとまた話はかわるかもしれませんが、母親同士の繋がりはまもなく薄くなります。歳を重ねるほど親が必要な場面が減りますのでご安心ください。
私も三人以上で話すのが苦手で、三人以上ではなすとその日はいつもより疲れを感じます。
なので、限られたママと今も繋がりはありますが三人以上で集まることはまずなく、二人で静かな自宅でお茶をすることにしています。気候が良いときは公園などでスイーツを食べたり、私にあった方法でお付き合いしてくださる方とお付き合いしています。
今までも、これからも、極端に迷惑をかけない程度に私は私のままで生きるつもりです。
私の息子はASDグレーゾーンです!
私もいちちさんと同じで、子育てをするうちに 自分の特性に気がつき、答え合わせという気持ちわかります!私自身、球技が苦手だったり不器用でクラスマッチや部活(運動部に入ってしまった)がとても嫌で、部活などでもうまくいかず、つらい思いもしてきました!今は片付けや整理整頓も苦手ながらできるようになったのですが、片付けが苦手だったりして思い返せば小学生の頃机の中やカバンの中も綺麗ではありませんでしたし、宿題ややらなきゃいけないことは後回しでした💦
私もなぜ私の遺伝子をもらって生まれてきてしまったのだろうとつらい思いもしました。息子が悲しい思い、惨めな思いしてほしくなって思ってしまいますよね😢
常に色々と不安はありますが、子どもが苦手な部分でストレスがかかって、自己肯定感が低くなったり、不登校や将来引きこもりなどの二次障害にならないよう息子がストレスがかかることのないよう、楽しく無理せず、過ごせるようにということを1番に考えるようにしてます😊とはいいながらも、日々悩みながらも葛藤しながらもなんとか進んでいます!!
そうやって子どもの自己肯定感などを守って愛情持って育てていれば、息子なりに大人になってもうちの子にはうちの子の活躍できる居場所があると思うし、笑顔で過ごせる選択をなるべくできるようにしています!
いちちさんもいろんな葛藤などあると思いますが無理せず、リフレッシュしながら、お互い乗り越えていきましょうね😢
みなさん、こんにちは。 みなさんは、希死念慮がある親と暮らすのは、大変だし、嫌ですよね。 私は、幼少期に家族から虐待を受けて育ちました。 自分の子供には、同じ思いをさせたくないと思いながら、子育てをしてきましたが、やはり、親に似たような事をしてしまう。 そんな自分が嫌でたまらなくなってしまいます。
2025/6/4 16:27
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おはようございます
私自身虐待を受けて育ったので子供が小さい時は特によくならないようにと気を付けたことが多かったです
子供が小さい時、特に年中くらいまでかな、言葉が通じないのでもう手で留めるしかないって瞬間もたくさんあって(特に車の前に飛び出すなどの危険行為)
ダメってわかってても何回いったらわかるの!!と怒鳴ったりたたいてきた手をたたき返したり、家にいるのが嫌な時がしばらく続いたこともあります
精神科に行ってもネガティブなのは変わりませんが、それを利用していち早く支援につなげたり危険回避に力を注ぐことで自分の安定を図っています
だからネガティブは悪いことではないと思いますよ
子供を育てている9年間、まずは完璧じゃないことがよいことということ
変化が悪いことじゃないこと
これはずっと念頭にあるようにしています
これは子育てを種から花を咲かせるという植物にみたてて書かれている子育ての本を私は持っていてそこから思ったことです
読んでいて思ったのは、どんな花が咲くか赤ちゃんは種の種類が書いてありませんから本当にどうなるかわからなくって、でもそもそも書いてないんだからどれが咲いても正解なんだってこと
そう思ったら自分も子供もどんな人であってもいいのかなと思うようになりました
子供には素直に今日はもう寝る、おむつ今のうちにかえるよ、と言って本当に子供より先に寝る日もありますし、もう頑張れないから洗濯物自分のもの持ってって!って頼むことも普通にあります 家族で全体を回せばいいんです
また、自分がもし今当時の親と似ていると思うなら当時の親がどう考えていたのか今になってわかるところもあるかもしれません
だから手を出していいんじゃなくて、じゃあ同じ状況で自分がベストだと思う道、もしくはこれは回避したいと思う道を考えて自分の道筋を立てる
経験者だからこそ結末は知っていますよね 反対によい未来だって考えられるはず
経験は強みにもなるはずです
虐待を美化するつもりはありません
でも悔しいじゃないですか、ほかの人に時間も体力も奪われた小さいころの自分を少しだって無駄にしたくないから
それにもし小さい頃の自分が目の前の子供だったら、どうしてほしいかな
それがきっと過去の自分を救うことになると思っています
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発達障害児(ASD.ADHD.ALD.知的 何でも良いです)を育て中の方、育てた方で定型発達の子の方が良かったと思う事ってありますか? そう思う事自体、悪なのでしょうか? 苦しいです。 定型発達だからといって良い子とは限らない事も承知です。 全部、苦しい、悲しい、投げ出したくなる。とても孤独です。 私が全てダメなんだろうな、
2025/6/3 20:15
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ご返信ありがとうございます
職場にカミングアウトするまで同級生のいる方が複数人いてできるだけ仕事で絡まないようにと妙に気を使ったりして疲れたことや
本当ほかの親御さんとどうかかわっていいのかわからなくなって悩み続けているうちにどんどんまた話しづらくなってみたいなことが出てまた堂々巡りみたいな
なかなか抜け出せなくなるから、考えるのをやめて今はママ友的な人はほぼいません
職場の人にも素直に状況を話したら、仕事の話だけ切り分けて話しかけてくれるようになって結構気が楽になったのが本当に最近ですね💦
低学年の不登校もどうにかなったとのこと、やっぱり子供自身がクリアしないとどうにもならないところもあって、心配だけど見ているしかないところも親として多いのが余計につらいとは思いますが、親としては連携取れるところはとって、衣食住そろえてあげてで自分は自分のことも、お子さんのこともやっているわけですからできていると胸を張っていいと思いますよ(*^^*)
そして本当に心配なら突き詰めて最悪の状況を回避するを繰り返すだけ
うちは子供には素直に発達障碍児ということを年長の時点で伝えています
家の中だけでもうそをつきたくなかったのと、子供も自分なりに特性に気が付いてほしい、できなくっても順序が違うだけだからといった脳の仕組みの問題というところを子供に少しでも理解してほしいという親のエゴが伝えた理由です
反抗期とのこと、リコリタという発達障碍のお子さんの考え方などが細かく載せてある記事を渡しておいて好きな時に見てねみたいにしたら、もし破り捨てたとしても大事にしていて気にしていることは伝わると思います
お子さんが子供・守る存在じゃなくて、一緒に隣を歩いていく存在で、お互いの意思を尊重したいし、たまには親も助けてねってくらいの感じの距離感でいられたら一番ですよね(なかなか難しいですけど)
そう思ったらお母さんの不安伝えてみてもいいんじゃないかなぁと思いますよ
反抗期実は私なかったんですよね💦兄から毎日虐待されてたんで反抗してる場合じゃなかったです(両親は訴えてもサイコパスな兄に騙されてました)
だから反抗してもそこにいられるって思っている信頼関係を築く努力をたくさんされた一つの結果です
根拠のない大丈夫、意外と強いお守りになると思います
お互いこれからも大丈夫ですよ(*^^*)
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子どもだけでなく、ご自身にも特性がある、診断を受けていて子育てをされている方ってどのくらいいらっしゃるのでしょう。
子育てをするうちに 自分の特性に気がつき、答え合わせとともに自分の辛い子供時代が息子に重なって 初めのうちは不安で泣き、震えました。
息子は私の遺伝子をもらって生まれたばかりに
悲しくて怖くて孤独な学校生活を
なかなか理解が得られない人間関係を味わうのかと。
ですがしだいに
息子は私と同じではない。
彼のままで世の中に関わり、彼のままで幸せに気づきながら生きていくことを一緒に考えよう。
と思うようになりました。
あの頃の私は 無理に変わらなくて良かったんだ。
ただ、母親同士の関わりって あうんの呼吸や常識、空気感を察する場面が多く、
自分の一番苦手な 多人数でのコミュニケーションをうまくとるのは難しいです。
そんなテーマで 他の方のお話聞いてみたいなと思いました。