【体験談】子供の発達障害をどうやって受け入れた?
ライター:当事者ママ*まき
2024.06.19
我が子が発達障害と診断されたとき、みなさんだったらどんな気持ちになりますか?今回は、我が子が実際に発達障害と診断されてからの私のリアルな気持ちをお伝えしたいと思います。
診断の時~やっぱり発達障害だった~
我が子が発達障害と診断されたのは、小学校一年生の頃です。小学校に入学し、勉強や集団行動についていけなくなったことから、病院を受診しました。感情のコントロールが苦手なことや衝動性、不注意などもあったため、病院では自閉症とADHDの検査を受けました。結果はずばり自閉症。この結果が出た瞬間、「やっぱり自閉症ですよね!」と、はっきり主治医の先生に言った記憶があります。
なぜ私の第一声がこの言葉だったかというと、幼児期から発達に偏りがあった我が子ですが、知的な遅れがなかったため、なかなか周りに理解されずに苦しんでいたからです。しかし、この診断が下りたことで、やっとわかってもらえた!という安堵の気持ちが強かったです。
戸惑いと罪悪感~自閉症児として見てしまう~
自閉症と診断されてから、子供が癇癪を起こすたびに、「この子は自閉症だから」と思うようになっていました。いままでは、子供の発達に特性を感じながらもそれを「個性」として捉えていたのに、診断が下りた途端、発達障害児というフィルターをかけて見てしまうことが増えたのです。兄弟がいる我が家ですが、下の子にも「お兄ちゃんは自閉症だから」と言って我慢させてしまったように感じます。子供はなにも変わっていないはずなのに、発達障害と診断されたことで私自身が以前とは違った目で見てしまうことに戸惑いと罪悪感を抱きました。
受容と支援~理解者が増えて支援に繋がる~
病院を受診したことによって、まず主治医の先生という強い味方ができました。次に、発達障害と診断されたことで、学校側が子供に対して理解を示してくれたのです。病院を受診してよかったと思えた瞬間でした。そこから、私自身も子供の苦手なことをサポートしつつ、個性を伸ばしてあげたいと思えるようになりました。家族以外の誰かに理解され受容されることで、気持ちが楽になっていったような気がします。いままでは、診断が下りたから療育に行かなくてはいけないという固定概念がありましたが、いまはもう好きなことを思いっきりやっておいでと言えるまでになりました。
発達障がいの認知の広がり~個性か障がいか~
現在は、一昔前よりも発達障害という言葉がより身近なものになりました。しかし、その言葉が時に発達障害児を持つ親を苦しめることもあります。昔だったら、「活発な子」や「おっちょこちょいな子」と言われていた子たちが、今は発達障害という言葉が浸透しているがゆえに、「発達障害児」というレッテルを貼られてしまうからです。子供の特性を「個性」として見てもらえることが少なくなったように感じます。そう感じたからこそ、せめて我が子だけはその特性を個性として理解し、サポートしてあげたいと思えるようになりました。発達障害に関する参考書を買ったり、スクールカウンセラーや主治医の先生と情報共有したりすることにより、発達障害への理解が深まると同時に子供の理解へと繋がりました。
まとめ
子供が自閉症と診断されてから、本当に色々な感情が芽生えました。しかし、発達障害と診断されたからと言って我が子には変わりありません。困った行動をすることもあるし、周りに迷惑をかけてしまうこともあるけれど、それでもここにいるのは紛れもなく大好きな我が子なのです。発達障害を受け入れるためには、親として子供がどんなことに困っていて助けを求めているのか、それを理解するところから始まる気がしています。子供を理解し、それが他者にも理解されることで、親の気持ちも大きく変わってくるのではないでしょうか。これを読んでいるあなたも、大好きな我が子に「あなたはそのままでいいんだよ」と胸を張って言える日が来ると信じています。
※この記事は体験談として掲載させていただいております。同じ行動が見られたからと言って必ずしも発達障害ということではありませんので、気になる症状がある方は医療機関への受診をお願いいたします。
※写真はイメージです。
当事者ママ*まき
保育士資格保有。発達障害の子供を育てる2児の母です。毎日明るく楽しくをモットーに子育てしています。